かわいい悪魔

甘い日々を過ごしていた二人が些細な事で周囲を巻き込み大喧嘩。
仲直りしたい国王陛下の取ったおかしな行動とは──

「ストロール、おっぱい大きくなったね」
国王陛下は笑いながら、裸に剥いた俺の胸を揉みしだいてくる。
大体の痛みには耐えられるが、ここまで飽きずに触られると流石に胸がひりひりとして気分が悪い。

「誰かが飽きずに揉んでるからだろ。そろそろ止めてくれ」
「やーだ」
口で注意して、手首を掴んで離して、胸をかばっても悪魔は止まらない。
「いい加減にしないか!」

行軍の号令より大きな声が出たかもしれない。
「えっ、なんでそんなに怒ってるの」
「何回注意しても! お前は! コップの水はこぼすし物を置くときの音はでかいし俺の靴下を勝手に裏返してそのくせ自分は裸足で部屋の中を歩き回って!」

「わかった。今日はもうやめでいいからさ。一緒に寝よ」
だらしのない笑顔に反省の色などなかった。
蛸のようにくねくねと絡んでくる聞かん坊を引き剥がし、大袈裟な広さのベッドに放り投げる。

「知らん。一人で寝てろ」
追いつかれる前に大急ぎで服を着込み、がぼっと靴を履いてばん! と扉を閉めた。
二度息を吐いてからブーツの紐を結び直す。
ジャケットの襟を正して、ニットの裾を確認して、髪の毛を撫でつける。
それでもあいつが追いかけてくる気配はない。

扉に耳を当ててみても、不気味なほどにしんとしていた。
あれだけ好き放題暴れていたくせに、なんて奴だ。
ぐらぐらと腹の底から怒りが沸いてくる。

もう許さない。
今日という今日は本当に許さないからな!

あれから一週間が経つ。
ストロールの姿はさっぱり見かけることがなくなってしまったけど、仕事はなくならない。
しぶしぶ机に張り付いて山を崩していく。
「失礼します。軍部の書類へご署名を頂きたく……」

聞き慣れない声だったが、警備を通過したのならまともな用事だろう。
「ご苦労様。ハリエイタスは?」
「申し訳ございません、本日は私めが代わりに。お忙しいようですよ」

書類に添えられた紙片には代理を頼む旨が記されており、本物のようだった。
いつもはストロールが、どんなにつまらない用件だって、必ず歩いてきてくれた。
そんなに自分と顔を合わせたくないのかな。

仕事が一段落したところで、一番身近な近衛隊長に相談してみる。
「ストロールと喧嘩! ですか」
「うーん……かも?」
彼女は真紅の髪を広げ、目をまん丸くして驚く。
だけど不躾に事情を尋ねてくるわけでもなく、ううん、とひとつ唸っただけだった。

「食事にでも誘ってみるのはいかがでしょう」
「確かに、肉で釣るのが良さそうだ」
二人で頷き合う。
旅の途中でも話が弾むのは食事の時だった。
気取らずに入れて、さっと焼いたステーキが絶品だという店の地図を描いてもらった。

健啖家の彼女が選ぶ店なら、きっと間違いない。
ストロールはどれくらいの焼き加減が好きかな。
どんな厚さを選ぶだろう。
付け合わせで好きじゃない野菜が出てきたら、こっそり向こうの皿に移してしまおう。

その日のうちに太刀を飛ばして、軍本部に駆けつける。
「やあ、人を探していて……あ!」
守衛に声を掛けると、ストロールが奥にある建物の扉から出てきた。

敷地の中に勝手に入っては大事になってしまうから、見つけてほしくて大きく手を振ってアピールする。
それなのに、明らかにそこにいるのに、こちらをちらりとも見ずに廊下の角を曲がって行ってしまった。

「陛下。恐れながら、これより軍議でして。半日はかかるかと」
「じゃあ出直す。夕方には終わるよね」
「申し上げにくいのですが……ハリエイタス卿はしばらく『ご不在』だそうです」

不在? そこにいるのに?
開いた口が塞がらない。
守衛を見て、ストロールのいた廊下を指差して、また守衛を見る。
彼は槍を持ったまま、うつむいて押し黙っていた。

何の咎もないのはわかっているが自分も気持ちの置きどころがなくなってしまって、門の前で立ち尽くす。
「陛下ァ! こちらにいらっしゃいましたか! 今は政務にお戻りください!」
 ヒュルケンベルグが靴の踵をカツカツと鳴らして物凄い勢いで駆け寄ってくる。

「きゃぁ」
「肉は仕事を終えてからです!」
首根っこを掴んで引きずって、あっさりと王宮へ連れ戻されてしまった。

日を改めて、司法府を訪ねる。
また近衛に連れ戻されないように、小さくても正式な用件を作っておいた。
王都で職に就いてからもユーファは穏やかで、何でも洗いざらい話したくなってしまうような柔らかい雰囲気のままだ。

「ご友人と喧嘩……ですか? 陛下が?」
「自分が悪かったみたいで、会えないんだ」
「でしたら、贈り物はどうでしょう? きっと喜ばれますよ」
「やってみる。ありがとう」

大通りを行ったり来たりして、大きな窓の中に並んだ華やかな品々を眺める。
宝石とか食器とか、そういうものは少し違うし武具だって好みがあるはずだ。
いざ探すとなるとなかなか難しい。

「……これ!」
これだ。目が合ったとき、直感した。
寂しくしているだろうから、きっと涙を流して喜ぶぞ。
ひとつだけだと文句を言うかもしれないからと、他にも雑貨をいくつか選んで包んでもらう。

手渡したくても『不在』らしいから、住まいに届けてもらうように手配した。

視察に訪れた魔法学院で紅茶をいただく。
かつて父の使っていた研究室も見せてもらった。
学生たちが活発に議論を交わし、書棚の文献もよく開かれているようだ。
未来への希望を覗いたところで、今や敏腕学長となったジュナに助けを乞う。

「なあに、恋人と喧嘩!?」
「怒られてる。食事も贈り物もだめだった」
ボソボソ話す自分を見て、相手が誰だか知ったことじゃないけどこりゃ相当ね、とジュナがお手上げのポーズをする。

「じゃあやっぱり、手紙しかないわよ。愛情を込めて書きなさい」
「何を書けばいい?」
「何でも。思ってること、伝えなきゃね」

麗しの歌姫はばちんとウィンクして、土産にレターセットを持たせてくれた。
食事は誘えなかったけど、断られていない。
贈り物は届いたかどうかわからないけど、返されていない。

読んでくれるのかわからない。
けど、書くだけ書いてみよう。
「愛情、か……」

未処理の箱に入った書簡の半数は、奴からの手紙で占められている。
私的なものとはいえ王の書状であれば開封しないわけにもいかない。
しかし肝心の中身は天気、行事、最近食べたもの、物語の執筆状況、体調のことがわずかに差し込まれる。

つまりわざわざ俺に宛てて書かなくてもいいような、返事のしようもない、つまらない話が延々綴られていた。
ただ便箋の柄だけが明らかに浮いていて、全面に渦巻く情熱的なハート模様が不気味だった。
どこで買ったんだ? こんなもの。

送りつけられてきた使い道のない大小さまざまの奇妙な置物や雑貨たちも、確実に部屋を圧迫してきている。
特に首と脚の長い架空の動物を模したものなんて、明らかに邪魔だ。
高さが俺の腰ほどまであり、すっかり寝室の番人と化していた。

部屋の隅から感じる視線は強い。
この一週間で黄と茶色の模様に心を蝕まれ、草原で追いかけられる夢まで見た。

俺があいつを甘やかしたせいで、こんな目に遭っているのか。
しょうもないガラクタが山ほど詰まった箱から笛のようなものを取り出す。
ベッドの上で仰向けになって吹けば、間の抜けた音とともに巻かれた紙が伸びて三方に広がった。

笛を放って天井を見つめる。
外はすっかり暗くなっていたが、灯りをつける気にはなれなかった。
あいつが隣にいたら、げらげら笑って左右に転がっていただろうな。

執務室で機械になっている。
書類を読む、署名をする、印を捺す。
さくさくと溜まりに溜まった山を捌いていく。

明らかに不適切な嘆願や稟議は斜めに大きく線を引いて左の奥へ避ける。
それでも必要なことはあまりにも多い。
ストロールのことなんて考えている暇なんかないんだ。

「ちょっと、急にやる気出しすぎ! 運び出すのも間に合わない!」
そうだ、自分はやればできる子だ。
導きの声にも『王となる定めの子』と言われたし、天職なのかもしれない。
身を粉にして働いて国を豊かにするのが王の責務だ。
ストロールなんか知らない。もういいんだ。

「陛下、休憩いたしましょう。根を詰めすぎです」
ヒュルケンベルグがため息をついて、豪奢な黒塗りの箱を机に置く。
蓋を開くと、冷気がひゅうと手元を抜けていく。
「わぁ! すごい、色のついた氷?」
「氷の菓子──氷菓だとか。王都一番の店から、献上品ですよ」

箱の中には七色の氷玉が入っていた。
その中から黄色い色のついたものを選んで口に含む。
レモンの香りだ。
シロップを混ぜてあるのか、酸味だけではなく爽やかな甘みがあった。

「あー、美味しいね。あとは二人で食べておいて」
ぱたんと蓋を閉じて仕事用のペンを握り直す。素敵な贈り物の話はもうおしまいだ。
「そういうわけには参りません!」
「もう、すっかりしゃくれてシナシナになっちゃって! まだストロールと喧嘩してるの?」

そう言いながらも二人の視線は箱に釘付けだった。別に今すぐ開けて全部食べて、なかったことにしたっていいのに。
「なんで知ってるんだ」
「王都のあちこちで噂になってるわよ。あたしが知らないとでも思う?」

ガリカが目の前に浮いて、びしっと指差してくる。
「もうだめだよ。あれこれ試したけど」
「あんたにしては諦めが早いのね」
「幻想は自由だけど、喧嘩は相手がいることだって身に沁みた」

机に突っ伏して、立ち上げた手をひらひらと振った。
踊る人差し指をガリカの両手にぱっと取られる。
「じゃ、朗報。閣下は近頃、首長獣の夢にうなされてるそうよ」

「ストロール! 出てこい!」
「いませんー!」
 再び軍部へ訪れて恋人を呼びつける。
敷地の境界を越えないように、守衛から少し離れたところから叫んだ。
いません、の声には聞き覚えがある。

「いるだろっ!」
追撃するとドアの開いた部屋から、いい加減にしてください! 自分で署名もらいに行け! 国王陛下に嘘つくな! 一人で呑みながら泣いてたくせに! 訓練所に変な像置かないで! 子供か? とガヤガヤ聞こえてくる。
十数人にぎゅうぎゅう押し出されてストロールが現れた。

「陛下! この若造、頼みましたよ」
「任せて」
 抵抗する将軍の踵が門を越えたところで、どっしりとした壮年の兵士に託される。
付き添いは皆迷惑そうな、それなのにどこか楽しそうな顔をしていた。

観念したらしい恋人を胸の前で横向きに抱きかかえ、太刀で王都を駆け抜ける。
体格と装いでどこから見てもストロールだとわかるのに、必死に顔を隠していた。

王宮の中庭に下ろす。
ちょうど秋の薔薇が見頃で、深緑の葉の中に美しく整った花が佇んでいた。
隅のほうにある屋根がついたベンチへ誘い、腰掛ける。
「少し話そう」
「こんなところ、あったんだな」
「うん。他の建物の復旧も落ち着いたから整えてもらった」

久々に覗いたストロールの瞳は記憶の中よりきらきらしていた。
肩幅も思ったより広い。今はマントを着けているから余計に大きく見えた。
さっき抱えて駆けたときはあんなに小さく丸まっていたのに。

しばらく二人してじっとしていた。
ああ、そうだ。堂々と街中を突っ切ってきたから、また怒っているかもしれない。
「怒ってる?」
「怒ってはいない」
それなら、どう思っているんだ。
ストロールは黙って指をいじいじと動かしている。

「この間はごめん。友達と喧嘩したことなくて」
「友達? お前は友達と寝るのか?」
ごめん、を無視して揚げ足を取られる。
言葉にビシビシと棘が見えた。
そういうところがちょっと嫌だ、とは絶対言ってはいけない。
今言ったら、三年先まで呪われる。
優しく、素直に、簡潔に。

「友達で、恋人でもある。とにかく、大切な人と仲直りしたいんだ。どんな風にすればいいかな」
効果はあったのかストロールが咳払いをした。
少し左のほうに目線をずらして、ハリアに遊び相手がいないことはなかったが、と前置きをする。

「領主の息子だから、喧嘩らしい喧嘩をしたことはなくて。恋愛もする暇がなかった上に……まさかお前と付き合うことになるとも思ってなかったんだ」
「へー、それで?」
結局どうしたいのかな。
首の力を抜いて間抜け面で屋根の裏側を見上げた。

「その態度は無いだろ! 喧嘩した日だって追いかけてこないし」
「すごく怒ってたから一人になりたいのかと思って」
「そう言ったか?」
「追って来いとも言われてない」

黙ってしまったストロールの顔を下から覗き込むと、泣きそうになっていた。
逃げて、すねて、そんな顔をするくらいなら。
「思ってること、ちゃんと言え!」
額のど真ん中に強烈なデコピンをお見舞いしてやる。

指に衝撃を感じた直後、ストロールの両目からぶわっと涙がこぼれた。
冗談みたいな勢いでぼろぼろと、滝みたいな量の水が出てくる。
まずい。壊した!

「頼むから、もう、動物の置物は、やめてくれ」
「えー」
思ったよりも小規模な反抗に、間の抜けた声が出る。
その瞬間、鋭い何かが頬を掠めた。
肌がちりっとしたほうを見ると銀の髪があり、抱きしめられているのだと理解した。
角。角か。

もしこの角で、体の真ん中をこの勢いで一突きされていたら、と思うと別の意味で胸の鼓動が速くなる。
「それに、一緒に寝るならお前のほうがいい……」
泣きすぎて鼻水も垂れているのか、殺し文句が詰まって濁った声になっている。

この様子だと、まだ命は奪われずに済むのかもしれない。
百面相は面白いけど、ここで笑ったらおしまいだ。
顔が見えない体勢なのをいいことに口を縦に開いて感情を逃がす。
返事をしないままでいたら、体をぐいと押し付けてきた。

胸が潰されて息ができない。
骨だってなんだか無理のある方向に力がかかっている。
ぎりぎり動かせる右手でストロールの腰を撫でると、更に強く締め上げられた。

ぐすぐすと泣き続ける年上の恋人からは寂しかった、とか素直じゃなくてごめん、とか馬鹿みたいな腕力とは対極にある甘い言葉がうっすら聞こえる。
手を出したりして悪かった。悪かったから、早く離してほしい。
もう二度と黄色いニットの裾に手を突っ込んで伸ばしたりしないって約束するから!

「悪い……外だったな」
祈りが通じたのか、ぱっと離される。
泣き腫らしたストロールの目の周りは、動物の赤ちゃんみたいにぶよぶよしていた。
笑うな。笑ってはいけない。

深く息を吸って、吐く。
できるだけかっこいい顔をしてから。
「とっておきがあるんだ、部屋に来ない?」

「とっておきって何だ? 仕事のことか?」
「いや、うん。それがさ」
部屋は部屋でも、氷菓の箱を執務室に置いたままだった。
普段ならこんな間抜けなことはしないのに。
二人で私室に入ったあと誰かに持ってきてもらうのも忍びない。

それなら今寄ったほうがマシだろうと思って来たはずが、またちょっとムッとし始めたストロールの視線が痛い。
「ちょっと待って」
まだヒュルケンベルグたちは残っているだろうか。
執務室に入るのがなんだか気恥ずかしくて、ちらちらと覗き込む。

「おかえり」
不意に後ろから声を掛けられて飛び上がった。
振り返れば、にんまりと笑うガリカが浮いている。
「ただいま。まださっきの箱あるかな」
「はいはい、中身もそのままよ」

これ以上からかうと、後ろの男が爆発するんだ。
乾いた目で妖精に合図すると、羽をきらめかせて一段高く舞い上がり、氷菓を運んできてくれた。
「ありがとう。また今度、皆の分も頼もう」
「やったぁ! ほら、早くしないと危ないかも」

ああ、そうだ。
最初に開けた時から少し時間が経ってしまっている。
お待たせ、と黒塗りの箱を抱えて振り返ると、両手を顔の前に挙げたストロールが尋ねてきた。

「なあ。それ、中身が飛び出したりするのか?」
どうしてそういうことを聞くのかな。
ばーん! と声を出して蓋を開けたらどんな顔をするんだろう。
留め具に指を掛けてなぞる。

「……しないよ!」

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