過保護なふたり(R18・Dom/Subユニバース)

先月まで真っ赤な荒れ模様だった空は、雲ひとつなく晴れ渡っている。
大聖堂前の賑わいもすっかり元通りだ。

「ストロール!」
宿敵を討ち果たし、選挙に勝利した王子殿下が剣を滑らせて俺の横で止まる。
深く眠っていた体へ還って以来、薄水色に変わった髪が陽の光を受けてきらめいていた。

「戴冠式の日取り、決まってよかったな」
「うん。急がないと。広場も綺麗にしてもらったし」
ふたりで振り返り、行き交う人々を見る。
物の流れも回復してきたのか、露店には色とりどりの商品が並んでいた。

「ストロール。ずっと友達でいてくれるよね」
喧騒にまぎれて、ぽつりとこぼす。珍しく気弱な声音だった。
黄色い羽織の袖を遠慮がちにつまむ手を振り払えるはずもない。

「何言ってるんだ。俺とお前は……兄弟みたいなものだろ」
「嬉しい、お兄ちゃん」
ぱっ、といつものいたずらっぽい顔に戻って、全身で腕にしがみついてくる。
「だからそれはやめろって!」

王が冠を戴いて、ふた月が経つ。
王都の窓という窓は曇ったままで、枠にうっすらと雪が積もっている。日陰の道には霜が張り、皆が鼻や指先を赤くして歩いてゆく。

王宮にある一室の空気は、外よりも重かった。
真冬だというのに袖のない服を着た妖精と、制服をかっちり着込んだ近衛隊長が沈んだ様子で向き合っている。
若き王が床に臥してから、半月が過ぎようとしていた。

よく知っているようでありながら、見慣れない部屋で寝ている。
体が重だるく、頭にもやがかかったような感じだ。
自分ひとりには大きすぎる寝台で、ただ横になったり縦になったりして時間が経つのを待つ。

「こんばんは。いかがお過ごしでしょうか」
「ストロール? 仕事帰り?」
手を振って、友が近づいてくる。

転がるように寝台から飛び降りる。
いくら親しい友といえど、さすがに寝床から応対するわけにはいかない。
そこまでは弱っていないはずだし、何より顔をよく見たかった。

「悪い。長引いてな」
「ううん、来てくれて嬉しいよ」
名もなき新兵だった頃とは違う、特注の装備を身に着けていた。
幅の広いマントは、シーツよりも白くてまぶしい。
ついてきているか後ろを確認しながら、応接用の調度品のあたりへ案内する。

「少し見ないうちに痩せたか?」
「三日前にも会ったよ」
「これ、見舞い。食べられたらいいんだが」
ストロールが何かを取り出してテーブルに置くと、ふわっと香辛料の匂いがした。

包みを開いてみると、赤い鶏肉と緑の野菜を挟んだパンが入っていた。
「ありがとう! おいしそうだ」
はぐ、と噛みつく。以前なら調合された粉の正体を探りつつ、鶏肉の弾力や葉のみずみずしさを楽しんでぺろりと完食できたはずだ。

今は、何かを口に入れた。それだけ。
色んな味や感触がいっぺんにして、もやもやする。
美味しいはずのものを食べてもやもやする、という感想も失礼だろう。

体の不調は理解してもらえても、このもやもやが伝わりきるとは思えなかった。
楽器を弾くように包み紙を指でとんとんと弄る。

「冷めるぞ」
「うーん、食べて」
歯形のついたパンをストロールに向ける。
少しのためらいもなく、大きな口がパンを迎えに来た。

「おいしい?」
『待て』の身振りで制止された。
口を押さえて急いで噛んでいるのを遠慮なく観察していると、非難めいた視線が返ってくるのを感じる。
「美味い。今日二個目だけど」
ごっ、と音がしそうなほどに大きな動きで飲み込んでから、ストロールが答えた。

喋れるように、一口を小さくしてゆっくり食べ進めている。途中で、やっぱり食べるか? とも聞かれたけど、首を振って遠慮した。
最後のパンを口に放り込み、手を合わせて軽く叩く。

「王の私室にパンくずを落としていくんだ」
じとっとした目を作り、床を指さす。
「あ、悪い! 箒どこだ」
真面目なストロールは勢いよく立ち上がってあたりを見回す。

「いいよ。冗談」
「ああ、不敬罪で吊られる前にお暇するよ」
ずれた椅子の位置を整えて、出口へまっすぐ歩いていく。
「もう帰るの? もっと話そう。ほら、《座って》」

声をかけた途端、ストロールが床に座り込む。
周りにはぶつかるような家具もないし、床にだって何も落ちていない。
具合でも悪くなったんだろうか。
駆け寄って様子をうかがうと、驚きの色はあれど顔色は健やかだった。

立ち上がらせようと手を取る。
ぐい、と引っ張ってみても自分より頭ひとつ大きな体はびくともせず、床に膝をついたままだった。
「悪い。動かなくて」
「うーん、《立って》!」

言うやいなや、ぐるんと体勢が変わって思わず転びそうになる。
踵だけで全身を支えるかたちになり、思わず空を掻く。
「わ!」
「おっ……と!」
ああ、天井の照明が見えるな、と光の粒を数えていたら長い腕が背に回されて、転ぶ寸前で抱き止められる。

「守ってくれてありがとう」
舞台なら拍手が鳴りそうなロマンチックなポーズのまま、たくましい戦士に礼を述べる。
「ストロール、役者の練習でも始めた?」

「こういう時のためにな。陛下、失礼しますよ」
とん、と体をまっすぐに置かれて、両脇の下に手を差し込んできた。何をされるのかと息を呑んだ直後、視界が一気に高くなる。

三歩ほど歩いてから、猫のように運ばれていると気づいた。おかしさがどっと押し寄せてきて、足をばたばたさせて笑う。
「あはは! もう一回!」
「ベッド着いたぞ。さっさと寝ろ」

こんなに笑ったのはいつぶりだろう。目尻に涙を感じながら転げていると、ストロールが布団と毛布を掛けてくれる。
「少しは元気出たか?」
「そうみたい」
まだ笑いに震えていると、中身が入っているのを確認するように、掛けた布の上からぽんぽんと軽く叩かれた。

「じゃあ、今日はもういいな」
「また来て。《約束》しよう」
小指を差し出す。何かの本で読んだ、遠い昔のまじない。
ぎこちなく真似してくるストロールに結び方を伝えて、指を絡めて軽く振る。

ほっと安心したように息を吐くと、まだ子供だな、とでも言いたげな顔で見てきた。
自分だってもう大人だし、偉いんだぞ。精一杯の怖い顔でストロールを睨みつけてやる。
怖い怖い! と笑いながら大きな手でこちらの頭をくしゃくしゃと撫で回し、振り返らずに部屋を出て行った。

見舞いに通ううちに王の体調も上向いてきた。
仕事も早く終わったし明日は休息日だから、長くいてやれるかもしれない。手土産の袋を揺らし、いつもの扉をくぐる。首を伸ばして覗き込むと見知った赤髪が揺れていた。
「おっと、悪い。先客がいたな」
「ストロールか。では陛下、私はこれで」

俺が一歩引けば、ヒュルケンベルグもさっと立ち上がる。王がぽかんとした様子でソファを指し示す。
「二人ともいれば? 一緒に話せばいい」
じゃあ、と同時に声を上げて三人でテーブルを囲むことにした。

「どうぞ」
繊細な模様が浮き出している缶を卓に置く。
「これ! 今人気の焼菓子じゃないか。手に入れるのが大変だと……!」
健啖家の騎士が両手を口に当て、歓びに震える。

「そうなんだ、凄いね」
「陛下への御使いってことで用意してもらった」
薄茶色の小さな板を噛む。さくさくと砕けて上品な甘みが広がり、花の香りがした。
職権濫用だ! と紛糾しながら、向かいと隣の食いしん坊が文字通りの勢いで吸い込んでいく。

あれやこれやと話し、ポットの茶がなくなった頃に王がふゎ、とあくびをした。隣のヒュルケンベルグと目を合わせ、頷きあう。

「もう寝る時間だな」
「それでは。おやすみなさいませ」
「うん、おやすみ」
彼女は扉が閉まるまで、深く深く頭を下げていた。

「久しぶりに陛下のお元気な様子を見られて良かった」
ほくほくとした様子の近衛隊長を見る。
「俺が行くときは大体ああいう感じだぞ」

「そうか。やはり陛下にとって歳の近い、同性の友人というのは特別なんだな」
ほのかに光る水色の目が細められる。
誰よりも忠義に篤いヒュルケンベルグにそう言われるのは、なんだかむず痒い。

「また来てくれ。君も初めての勤めで気を張っているだろうから」
「ありがとう」
軽く礼をして別れ、翻る赤髪を見送る。
長い手足はきりりと音がしそうなほど真っ直ぐに伸びていた。

「早く一人前にならないとな」
廊下の突き当たりに飾られた絵画を見る。
湖の描かれた大きな絵は、額縁が少し傾いていた。

晴れた日の朝、すっきりと目覚めた。
久々に体を動かしたくなるような気分で、ぐっと伸びをする。
「おはよう」
執務室に入ると、ヒュルケンベルグが目を見開いて固まっていた。ばさばさと取り落とした書類の山を拾って、机に積んでやる。

自分が動けない間、こんなに仕事が溜まっていたのか。
「心配かけてごめん。もうだいぶ落ち着いたよ、皆に見舞いのお礼をしないと」
「そうですか、本当によかった! とはいえ、どうかまだご安静に。くれぐれも街中など行かれませぬよう」

やっぱり止められるか。唇をきゅっと結んで口角を上げ、顎を引いて上目遣いにヒュルケンベルグの顔を見る。
ぼんやりとある幼い頃の記憶では、この顔をすれば許してくれるはずだった。

「くっ……行かれませぬように!」
長い長い三角の耳がぴんと張り、ぴしゃりと言い付けられる。

「図書館に行くのはいい?」
「ええ、どうぞ。私は別件でお供できませんが、必ず供の者をお連れください」
「あたし、一緒に行く!」
ガリカが飛び出してくる。冬の硬い光は、虹色の羽を色付き硝子のように輝かせていた。

「頼もしいな。でも一人で……」
前を向いたまま、じりじりと扉のほうへ退く。
このまま逃げ切れるか、というところで両肩を掴まれる。
「駄目です!」
「駄目に決まってるでしょ!」
三角の耳をした彼女たちは、目も三角にしていた。

王宮が上空へ飛んだときに無くなったり壊れたりしてしまったものも多かったけれど、無事だったものもある。図書館もそのひとつだった。
図書館と言っても図鑑や文芸を収蔵してある開架ではなくて、王族にまつわる記録を封じてある蔵のようなものだ。

「あたしも入るからね。中で倒れられたらたまったものじゃないわよ」
毛織物を巻いたガリカが声を掛けてくる。
いくら故郷から一緒に来た妖精といえど、秘密の塊の中へ連れ込むわけにはいかない。

鞄の中をひっかき回して取り出した硝子の時計を、小さな体に預けて言いつける。
「砂が落ち切るまでに出てこなかったら声をかけて」

扉の向こうは真っ暗で、手持ちの灯りを棚に寄せて本の背を探る。父王が統治を手放してから手入れがされていなかったのか、じめじめとした部屋は埃っぽくてかび臭い。
「伝記──会計──食事──あ、これかな」

手に取ったのは医療記録だった。
取り出した本をぱらぱらとめくると、白い綿くずのようなものがぶわりと舞った。できるだけ息をしないようにこらえて文字を追う。

『《指令》とその遂行により、対象との心身の深い結びつきを持ち──健やかな日々を得る』
王なのだから人に何かを頼む、命じるのは当たり前のことなんじゃないか?
湿気った本から顔を背けて頁をめくろうとしたとき、扉が叩かれた。

「砂、落ちたわよ!」
「今行く!」
限りなく細いけれど、解決の糸口が掴めたかもしれない。とりあえず今は戻らないと。

体調が少し揺らぐことはあっても、前のように一日中寝ているだけの日はほとんどなくなった。
執務室で過ごす時間も増えて、なんとか日々の政務をこなしている。

王都で勤めの経験があるヒュルケンベルグとハイザメが、忙しい合間を縫って助けに来てくれることも多い。二人とも立派な大人で、嫌な顔ひとつせず見習いの王を導いてくれる頼もしい存在だ。

でも、図書館で見た《指令》の記録については話せずにいた。頼りにしている。だからこそ、気が引けてしまう。
慣れない仕事ばかりでは気詰まりだし、自分で学んでどうにかできるならそれで解決したかった。

警備の目をすり抜け、今夜も図書館へ向かう。
かびた椅子で扉をふさぎ、机に腰掛けて医療記の真ん中あたりを開いて読み進める。
何度か空気を通したからか、もう顔を背けなくても頁をめくれるようになっていた。

『《指令》や《契り》の形式は自由だが、特定の対象と結ばれていない場合には有効な者に対して飛び火のように散る』
合意を取らず、無差別に縛るのは避けたい。医療記の説明が必要だし、口は固いほうがいい。

『《指令》の強制力は強く、行う側も呑まれぬよう常々注意すること』
肉体だけではなく精神にまで作用するなら、危険を伴うかもしれない。いざという時に、自分を殴ってでも止められる存在でなれけばいけない。

あとの方をぱらぱらと見たが、これ以上の記述は無さそうだった。本を閉じ、棚に差す。

話せそうなのは──一人だけ。

いつもの仰々しいマントは脱いである。
非番だからだ。謁見じゃないから、と軽装での出入りを許されてここにいる。

「体調のことなんだけど、古い書庫で王族の医療記録を読んできた」
王が藪から棒に言い出す。
吹き出しそうになった茶を無理やり飲み込み、派手にむせる。

「動き回る病人がいるかよ、医者に任せるか人に取ってきてもらえばいいだろ」
「少しくらい冒険したいんだ! それで、どうやら《指令》と《契約》が鍵らしくて」
腕を振り上げてじたばたと振り回す。こうなってしまうと話を聞くまで帰れない。
明日の予定を頭の中で組み換えて、王に向き直った。

「つまりは旅の途中は戦闘や作戦で実践できたことが、平時の統治では機会が減って体が弱った──ってところか。俺の体が勝手に動いたのも……」
「その影響かも。時間が経つと薄れちゃうみたいだけど」
大きな目は、遠くを見ていた。開いた両手の指を合わせて、ゆらゆらと動かしている。

「頼める? 他に当てがなくて」
そっと手を重ねられる。
「今の話したの、俺だけか?」
こくりと頷く。
王の御身に関わることだ。他に誰か心得のありそうな者に相談したほうがいいような気がした。
だが、秘密を打ち明けてくれたのなら、一番の友である俺が裏切るわけにはいかない。
「わかった。お前が良くなるなら、なんでもするよ」
また来て、と言われたときと同じように、小指を結んで振ってほどいた。

「できるだけ嫌なことはしないようにするから」
「お、おう」

「止めたくなったら言ってね。えーっと、《お手》」
「もうちょっと何かあるだろ」
差し出された掌に右手を置く。

「すぐに思いつかなくて。《良い子》だね」
良い子、の響きで胸にあたたかいものが湧いてくる。
王が急いた様子でからん、と一片の焼き菓子を白磁の皿に転がして続ける。

「《待て》」
テーブルクロスに飛んだくずをつまんで除けようとした俺の前に掌を突き出して、軽く制する。特段の好物でもないが、菓子を出されて待てと言われるのはなんだかすわりが悪い。

「《待て》だよ。できるかな」
「できるだろ、大人なんだから」
行儀が悪いと知りつつも卓に肘をついて王を見やると、向かいの麗しくまるい瞳は期待できらめいていた。数日前に見舞ったときの青白さはすでになく、頬にはしっかりと血の色が透けて見える。

「《よし》!」
やけに声が大きく聞こえた。菓子を口に含んで噛み、飲み込んでから彼の方を見る。
「わぁ、よくできました」
ぱちぱち、と小さな拍手が送られる。

「満足か?」
「うん」

「《おすわり》」
椅子に掛ける。
「《立って》、違うよ。あっちに《おすわり》」
王の指し示す先には円形の敷物があった。毛足は長く、黄金色の麦畑に似ている。伝統的な建築の部屋に馴染まず、どこか浮いて見えた。

「こんなの部屋にあったか?」
「用意したんだ。痛くないように」

「お心遣いありがとうございます」
「靴は脱いで。楽にしていいからね」

旅の途中ならいざ知らず、生活のための空間で床に座ることなどない。
手を後ろにつき、脚を投げ出す。座ってさえいれば文句を言われることもないだろうと、足の指先を曲げ伸ばしして気を紛らわせる。

「落ち着かないみたいだね。《伏せ》」
服は脱いでいないのに、すべて見透かされているような気分だった。腕と膝を敷物に擦り付けて伏せる。王の手が背を撫でる。

「《良い子》だね」
やましい気持ちなどひとつもないのに、喉が震える。胸が熱い。汗が脇腹を伝っていく。
──気持ちいい。

「あ……ァ」
自分のものとは思えないほど高く鼻にかかった声が漏れる。目は見えているのに、映るものが何かと考える頭はない。

「ストロール! どうなってる⁉︎」
「ッ、グ……!」
動転した王に強く手を引かれる。浮遊感にどっと冷や汗が噴き出す。がくんと身体が動いて、呼吸が浅くなる。視界が遠くなって、耳の中で轟音が渦巻く。古城で床が抜けた時と同じだ。

「ア゛、落ちる──」
王の腕がぎゅう、と震える俺の体を包む。その体勢のまま、片手が背を撫でる。だんだんと受け止められている感覚が広がり、体温が移された体に血が巡っていく。

大きな瞳にはうっすらと涙が浮かんでいた。
何があったって泣かせないと心に決めていたはずだ。
それが俺にしたことで、破られるなんて。
「ごめんな」

「違う、自分が……《指令》を……」
「大丈夫。大丈夫だよ」
胸に縋り付く小さな頭を撫でる。
大丈夫。お前が無事でいるなら、それでいい。

よこしまな恋慕ではない。
俺を救ってくれた王を、人を、友を──助けるための務めだ。
汗みどろの体を起こし、息を整える。
肌着が皮膚にべったりと張り付いて、体の一部が溶け落ちてしまったような気持ち悪さがあった。

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