角おさわり/EDから1年後/ラブラブ/親友+恋人+主従/裸で接触しているので注意
王は静かであった。
物憂げに目を伏せ、唇は平たく引き結ばれている。ただ、重なった肌だけが熱い。触れ合いが始まったのはほんの五分前だったかもしれないし、すでに一時間ほど汗ばんだ胸を合わせている気もする。
眠気に似た快楽をぼんやりと受け止めながら、記憶を辿っていく。
確か今日は夜食を摂りながらそれぞれ好きな事でもしようか、などと言っていたはずだ。去年の秋に戴冠式を終えてからは生活が大きく変わり、お互いに慌ただしい毎日を送っている。顔を合わせる機会はあれど公務の場なので会話はあくまでも事務的であったし、議題は山ほどあった。それに逢瀬が叶ったとしても貪るように番っては朝まで爆睡する始末で、日々の甘さは控えめと言わざるを得ない。即位から一年が経つ今月に入ってようやく仕事の波が穏やかになり、彼の私室に招かれた次第だ。
旅を共にした少年も今や連合王国の君主となった。貴き方を守るために王の住まいは常に近衛が配備されており、私室への侵入は困難を極める。監視の目を欺きロマンティックに窓から入って熱い夜を過ごすなど、夢のまた夢だ。静かすぎる廊下で騎士へ目礼を送りながら歩を進めれば、安っぽい妄想を咎めるように自分の靴音が響く。
目的地の前で顔見知りの騎士に名乗り、王から招待を受けている旨を伝えてしばし待つ。夜半に何度も部屋へ出入りしていれば交際の状況などもはや筒抜けだろうが、せめて表面上の形式は守っておきたかった。
恋のわがままごときで栄えある彼らの仕事を奪ってはならない。腕を組んで硬い床を見つめる。これまで何度も待ったし、これからも同じように待たされるんだろう。犬のようだ。陰でそう言われているのも知っている。どうだっていい。待てば会えるだけ幸せなのだから。部屋番の手で扉が開かれ、ついに主との対面が許された。薄暗い廊下へ、室内からの光が射す。
「ようこそ」
「今宵はお招きに預かり光栄です」
まぶしい! などと騒いではならない。ここが最後の関門だ。茶番を手短に済ませて寝室に立ち入ると、背中の向こうで厚い扉が外から閉められる音がした。ずいぶん遠いところまで来たものだなと、見慣れてしまった天井を仰ぐ。足元に感じる絨毯のやわらかさに安堵してため息が出た。
「肩のやつ外して来たらいいのに。重そう」
「お前に何かあってからじゃ遅いだろうが」
「また起こしてくれればいい」
「馬鹿言え」
いくら我が主が魔法や武芸に長けていようが配下の者は常に備えておく必要がある。御身は無邪気な魔力の塊ではなく、今度こそ生きた体なのだ。
「マントこっちに掛けようか?」
「ああ、頼む」
白い重荷を親友に預けてソファに倒れ込み、綿に体を任せて緊張を解く。あー、と意味のない音が口をついて漏れ出た。
「本当に律儀だよね」
「やるべき事をやっているだけだ」
「そうかもしれないけど、息抜きもしないと」
「今してる」
裸足の王様が何やら忙しそうに包みを開いては机に置いていく。ここからは少し距離があるし、俺はもう睡魔に体の半分を食われていてよく見えなかった。
楽しみすぎて眠れなかったせいだ。子どもみたいで恥ずかしいし、正直に話したらこいつは今日の事を一生からかうだろう。全財産賭けたって良い。体がふやけて意識が平らになっていく。魚が食べたい。甘いやつ。明日は何をするんだ。牛乳が飲みたい。領民に新しい子が生まれたらしい。雨が降るんだっけか。祝いを贈らなくては。洗濯だ。それから。
「起きろ!」
ばちん、と頬を張られる。両手で顔を挟み込むように叩くものだから、衝撃を逃がせずに目から星が飛ぶ。
「は!?」
何。何だお前。何をした?
「やるべき事をやった。さ、遊ぼう」
頬はきっと赤くなっている。全く色っぽくない理由なのでさっさと忘れて、恋人の用意してくれた席につく。厨房を借りて手ずから作ってくれたという夜食は絶品だった。俺好みの辛い鶏料理は酒が欲しくなる美味さで、ふたりで飲める日まであと少しだなと先の楽しみを語る。ふかふかのパンは優しい味をしていて、いくらでも食べられそうだった。素直に感想を述べたところ、マリアに渡す分はもう別に包んであるから好きなだけ食べていいよ、と笑われてしまった。なんだかむず痒い歯の奥を鎮めるために、硬めの焼き菓子にかじりつく。
一通り料理を堪能したあと、俺はカウチに寝そべって本棚にあった歴史小説を読み進めていたし、あいつだって寝室に置くには大きすぎる机で新しい物語の執筆に勤しんでいた。久しぶりに二人で同じ空間にいながら別々の趣味に励める贅沢を満喫していたはずだったのに。それなのに、第一巻の終わりに差し掛かったところでばっちり目が合ってしまった。逸らそうとするほど、こじれていく。
──まずい。今日じゃない。今日はそういう日じゃない!
悲しいかな、さっきまで夢中になっていたはずの言葉は今や何の役にも立たない。二冊の本が閉じられるのと、二つの体が飛び出すのは同時だった。調度品をひらりとかわして賊も顔負けの勢いで衝突し、そのままベッドにもつれ込んで服を取り払う。疾き事、風の如く。
現在の状況に再び目を向ける。灯りを落とした寝所で王はしっとりと押し黙り、俺の体に覆いかぶさって胸に唇を当てていた。いつものわんぱく小僧とは大違いだ。よく手入れされた銀の髪を指で梳かす。黙ってさえいれば綺麗な顔立ちであるし、公の場での受け答えは大人びているからこれも本当の姿なのかもしれない。
「とはいえ、な。お前が静かだと落ち着かない」
返事のかわりに仕掛け扉が上がる勢いで奴の顔が目の前に迫ってくる。いつかの探索でニンゲンに先手を取られた時を思い出して、肌がぶわっと粟立った。悲鳴を上げる間もなく、猛獣がぶちゅぶちゅ音を立てて俺の頬に吸い付く。
「っ、はは! うるさい」
「ご希望に応えて賑やかにしてあげたのに。今日はそういう気分じゃなかった?」
「や、気分になったけど。そういう予定じゃなかったから申し訳なくて、茶化した。悪い」
「うん。同じく」
でももう合意だもんね、と言わんばかりに内腿へ滑り込んでくる手を掴む。
「本当に悪い話をするとだな。今日は準備せずに来た。入れるのはちょっと無理かもしれない」
「えっ。わ、かっ……た」
めったに惑わぬ王が言い淀んでいる。ここまでやる気になっていれば仕方のない話で、がっかりするなとはとても言えない。俺だって落胆している。食欲にも性欲にも負けたし、友との約束まで破った上に恋人を萎えさせた。敗北のフルコースで胸焼けがする。いっそ殺してくれ。
「触るだけならいい?」
「お好きなだけどうぞ。どこがいい?」
「考えるからちょっと待って」
王様は裸のくせに襟に指を入れて引っぱるような動きをしている。言いにくい事を考えているときの癖だ。だいたい何が出てくるかなんて予想はつく。弱みにつけ込むようで悪いんだけど、と前置きがあって悪魔の宣告がなされた。
「角、かな」
その要望に対して思うところはある。しかし今夜においては文句を言うより、彼の希望に添いたかった。覚悟を決めて頭を差し出す。首に縄をかけられるよりは苦しくないはずだ。
「触るよ」
宣言どおり、彼の指が俺の角に乗せられる。個人差はあると思うが、俺にとって種族のしるしは性感帯ではない。この体の全てを拓いた目の前の男だってよく知っているはずなのに、この尖った個所がいたくお気に召したようだった。
角への接触は臍に指を突っ込まれるのと似て、うっすらとした不安がつきまとう。血が走っていて、脳に近い場所。でも、その手に急所を委ねるのはなんだか心地が良かった。闇の中で形を確かめるように、さりさりとなぞられる。ときおり指の先を当てて、ここにいると伝えてきた。両手で左右の角を握り込まれて、芯まで体温が届く。肉をぶつけ合う時よりもずっと優しい手つきで、命をいいようにされている。
「ふ……ぁ」
「こら、逃げない」
ただ蹂躙される生きものでしかない。背には冷えた脂汗が垂れるのに目の奥が変に熱かった。止まらない唾液は飲み下せず口から溢れていく。身を捩って支配から逃れようとしても脚でたやすく阻まれる。
角の付け根をぐるりと撫でながら王は問う。
「頭上げて。合図は? しなくていい?」
合図。沈黙と詭弁であらゆる修羅場をくぐり抜けてきた俺の本音を引き出すためのもの。限界を正しく伝えて、より深く結びつけるように賜った約束。聡い彼に甘えてばかりでいまだ送れずにいるが、きちんと覚えている。
「ちゃんとできるよね」
耳に直接音を吹き込まれて肩が上がった。甘い声で囁くのに、主人の指はまだ角に絡まっている。喉は狭くなって声は出ず、首を横に振れないまま正面から目が合う。夜が始まったときより近い距離で、硝子色の瞳が俺だけを映していた。虐げられているはずなのに爪の先まで悦びで満ちていく。
「返事」
「ひっ」
指を輪にして片方の角を掴んで、ゆっくりと引き抜くような動きで脅してくる。力は入っていなくとも最悪の想像が侵入してきて、のぼせた頭から血の気が引く。
「もう一回聞くね。やめなくていい?」
声は優しかった。いつも通りか、それ以上に。今までいくら奥まで突かれても泣いた事はなかったのに、涙が溜まって視界がぼやける。息は荒く短く吐き出されるばかりで、ちっとも上手く吸えやしない。きん、と鋭い耳鳴りがして世界が回る。
「死んじゃいそうだけど」
「いい。このまま、死んだっていい」
咳き込みながら切れ切れに伝える。使命を背負った旅の中で、死を覚悟した日はいくつもあった。毎月、毎日そうだったかもしれない。どんな危機が訪れたって結局は運命に生かされて今日に至る。それならいっそ、この優しい手で幸福に葬られたい。
王が銀の髪を揺らし、眉根を寄せて長いため息をつく。誰も死なせないという美しい理想を他ならぬ俺が真っ先に砕こうというのだから、怒りを買うのも当然だ。
「じゃあ死ぬまで触っちゃおう」
角から離した指を俺の湿った胸へ滑らせ、にんまりと笑う。悪戯をする直前の表情。
よく知った、一番好きな顔をしていた。
「死んだ」
「死んだな」
喉が切れたかと思うほどに鳴かされて、声は嗄れていた。完全に制圧された体は全身汗みどろで輪郭が曖昧になっているし、おそらく魂だってうつ伏せの背中からはみ出ている。
「はい、あーん」
弔いのつもりか、俺を殺した犯人が蜂蜜のたっぷり乗った匙を差し出す。行儀だ汚れだなどと言っている場合でもないので、横になったまま口に含んで味わう。
「どうしてやたらと人の角を触りたがるんだ」
「あした起きたら教えてあげる」
口を塞ぐように二杯目の甘みを運ばれる。
「だから、ちゃんと生きていてね」
